2022.08.26

株式会社シンエイ

代表取締役 鐘森雅之

株式会社シンエイ

Q

現在の仕事に就いた経緯を教えてください。

弊社はそもそも家内の父が創業した会社で、私は2006年、46歳のときに入社いたしました。大学卒業後は全国チェーン店を展開する会社で約20年間、店舗管理から経営企画まで幅広い経験を積んできましたが、サラリーマンとしての道のりの途上で、働くことについての価値観が揺らいだ時期がありました。時を同じくして、先代から事業承継について本格的なオファーを頂き、これはセカンドビジネスを経験する時期なのかもしれないと、シンエイを継ぐ決意をいたしました。

Q

仕事へのこだわり、
新人時代からどういう仕事観を築いてきたのか

私が弊社に入ってまず行ったことは「つなげる力、つなぐ技」という経営理念を掲げたことでした。ネジというモノの流通を通じて、お客様や取引先、従業員、それを取り巻く地域社会全体と繋がり、共に発展していくという「共生関係」を実感できる場を作りたいとの想いを込めました。

これはつまり、私がこれまでの人生で感じたことの統括でもあります。私は皆さんと同じように、入試や就職において常に人と競争をし、さらに大量採用の時代に就職したことから、社会に出てもなお、同等の椅子取りゲームを経験し続けてきました。ひたすら目の前の仕事に没頭していた20代のうちは、この社会構造を不思議とも感じなかったのですが、30歳を過ぎる頃から「このゲームはいつまで続くのだろう」と疑問を抱き始めました。

同時期に、これまで信じてきた会社のビジネスモデルが通用しなくなり、数字そのものにも衰退の色が表れてきたことが、私の疑念に拍車をかけました。同会社を後にし、シンエイを継ぐにあたって私が「共生」をキーワードとしたのは、つまりサラリーマン時代の社会構造のベースにあった「競争」とは真逆の方向へ舵を取ったということです。

Q

「幸福」や「幸せ」について、社長ご自身のお考えや、
感じることはありますでしょうか?

数年前に尊敬する従兄弟を亡くしました。彼は、アメリカで裸一貫で会社を興し、成功を収めたという大人物で、私にとって人生の指針のような存在でした。亡くなる数日前に話をしたとき、彼は私に伝えたいこととして、次のように話してくれました。「私は日本人として負けてなるものかという気概を持って事業を起こし、ここまでやって来た。充分幸福な人生だったけれども、自分の果たしたことが世の中にどう役立ったのかを実感し、役立てたことを喜べる余裕があれば、人生の中にもう1つ違う満足があったのかもしれない」それは、かねてから私が疑問に感じていたところにリンクする内容でした。

競争社会の中で勝ち上がり、何かを掴むということも重要なことではありますが、人生における真の幸福とは、自分が得たものをいかに社会に還元し、人を笑顔にできるかという点にあると思います。少なからず私はこのような経営を行っていきたいと考えていますし、周囲の人にも、同等の幸福を体感してほしいと考えています。

Q

今後の目標について教えてください。

51年における弊社の歴史は、必ずや次世代の礎になると思っています。今後はそのノウハウを普及していくことが1つの目標となりますが、その対象は弊社の従業員だけでなく、この東大阪という町で課題改善に悩む中小企業すべてと捉えています。

ひいては「共生」という志を共にできる方々と団体を立ち上げ、その考え方を普及、啓蒙できれば、大きな枠組みの中で皆が個々に輝けるような町づくりが行っていけるのではと考えています。言わば会社の在り方を通じて、地域全体の活性化に繋げるという取り組みになりますが、これは中小企業の集うこの町だからこそ活きるものだと思います。

Q

最後に、若者へのメッセージをお願いいたします。

これまでモノづくりの業界を支えてきた方というのは、何年も目の前の仕事に取り組み続けて、いつの間にか匠になっていたというパターンが大半です。しかしながら、「多様性」や「ライフワークバランス」というキーワードが氾濫する現代において、同等の働き方が今の若い人にできるのかと言えば、それは難しいところがあるでしょう。

しかし、私があえて申し上げたいのは、今自分にない能力を身に付けるには、やはり克己心を持って踏ん張らなくてはいけない時期があるということです。先の大成を想う気持ちは尊いものですが、そのためには、今目の前にある課題と真っ向から対峙しなくてはなりません。皆さんが30歳、40歳になって、本当に自分のミッションや生きる道を見つけたときに、力量不足ということにならないように、ぜひ今からそのような意識を持って頂きたいと思います。